舞の道
元小結・舞の海と大相撲のサイト。勿論アンオフィシャル
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>> top >> 舞の部屋 >> プロフィール
>>小学生時代

もともと相撲競技のさかんな地域に生まれついたので、小学生の頃から相撲をやっていました。
利き腕は左。誰に言われたのでもなく、文字を書く・箸を使う時だけ右手を使います。
得意の下手投げが左から打たれるのもこれが理由。
町主催の学校対抗相撲大会には小さい体ながら4〜6年生までレギュラー、
3年連続優勝の原動力となるほどの腕前。クラスの人気者でした。
4年生の国語の時間には、対戦相手の弱点を細かく分析した作文を書いたそうです。
研究熱心な性格はもうこの頃から表れていたのですね。


>>中学生時代

全国大会で優勝した実績を持つ鰺ヶ沢一中相撲部。
舞の海が在籍していた頃にも全国大会に出場していますが、明大中野中学(横綱貴乃花の母校)と
準々決勝で対戦して残念ながら負けています。
体が小さかった為に相撲部をやめようと悩んだ時期がありました。
父親から「相撲は体の大きさでとるのではない。力でとるものだ。千代の富士を見習って努力しなさい。」
とアドバイスを受け、足腰を鍛えるために早朝ランニングを欠かさず行ったそうです。

      学生かばんに自分の名前を書かず、千代の富士のサインを真似して書いていたという話を雑誌で読みましたが本当なんでしょうか?
      二代目若乃花(現 間垣親方)のファンだったという話はあちこちで聞いてるんですけど・・・・(^^ゞ


>>高校生時代

岩城監督からスカウトされて高校でも相撲部に所属。
そこは横綱旭富士(現 安治川親方)を輩出したことでも有名な名門です。
得意技の左下手投げにも磨きがかかり、他県の相撲部関係者からマークされるほどでした。
もう一つの得意技・内掛けを習得したのもこの頃でした。


>>大学生時代

全国から高校相撲界のエリートが集まる日大相撲部へ。
とても厳しい練習で知られるこの相撲部は、出羽の海部屋などへの出稽古も盛んに行われていました。
入部直後の舞の海は身長165センチ、体重65キロしかありませんでした。
ですが、自分よりも大きな力士に立ち向かうために体重を増やそうと一念発起。
約一年かけて80キロまで増やすことに成功。生まれつき食が細いのでかなり苦しかったと、
雑誌のインタビューに答えていました。
また、大会で負けると、罰として普通は頭を丸めるものですが、運動部なのでもとから髪の毛は短く
剃ることができないため眉毛を剃られたそうです(笑)
3年生の時、一時期試合で勝てなくなり、稽古をサボって某国営放送局でアルバイト。
大相撲の中継時に取り組みを録画してアナウンサーの言葉に合わせてスロー再生をする仕事。
一度だけ、相撲に見とれて再生するのを忘れてしまいディレクターに怒られたんですって(^_^;)

      1週間か2週間続けたと、インタビューには答えています。でもね、大相撲って一場所15日間ですよ。
      中日(なかび)で辞めるのと千秋楽まで続けるのとでは大違いだと思いません?こんなの気にするのって私だけ?


>>入門の動機

大学4年生の冬のことです。就職先も決まり、後は卒業を待つだけとなっていた舞の海に
悲しい知らせが飛び込んできました。体格や才能に恵まれ将来を有望視されていた後輩が急死したのです。
舞の海と同じ青森県出身で、とても可愛がっていた後輩でした。お葬式のため彼の実家を訪ねた時、
後輩のお父様が遺影の前で泣く姿を見て舞の海は一大決心をしました。
一度しかない人生を悔い無くおくる為に。


>>新弟子検査

何とか相撲部監督の了解を得た舞の海は、部のOBが所属する出羽の海部屋へ入門することを決めます。
当時の規定は身長173センチ、体重75キロを超えることとされていました。彼の体重は90キロほどありましたが
身長は170センチ(これでも大学に入ってから5センチ伸びているんですよ)。規定に満たないのを承知で
1990年3月、大阪場所前に行われた新弟子検査を受けたのです。が、あえなく撃沈。
でも諦める気が全く無かった舞の海は、5月場所前の検査に合格するため何か方法を考えることにしました。
そして監督の知り合いのお医者さんとも相談をして考え出されたのがあのシリコンなのです。


>>シリコン注入

それではどうやってシリコンを埋め込んだのでしょうか?
まず頭皮を切開して頭蓋骨との間に隙間を作ります。そこへ袋を埋め込み頭皮を縫合します。
そして注射器でシリコンを注入していくのです。頭皮を切開すると聞いただけでゾッとしますよね・・・・・。
頭皮は他の皮とは違ってなかなか伸びにくいため一度に注入できるシリコンの量は20ccほど。
一ヶ月ほどかけてゆっくりと身長を伸ばしていったのです。
髪の毛がたくさん抜けたり気分が悪くなったりと、合格するまでの間はとても辛い日々が続きました。
でも努力の甲斐あって、174センチに成長した舞の海は検査に合格することができたのです。


>>憧れの初土俵

新弟子検査に合格したのもつかの間、4日後には夏場所の土俵が待っていました。
袋を取り出す手術をしていたら傷口がふさがる頃には本場所は終わってしまいます。
仕方なくシリコンを注射器で抜き取り、袋は頭に入れたまま土俵にあがったそうです。
それでも勝ち越したのですから流石ですよね。袋は夏場所後すぐに取り除きましたのでご安心ください。


>>新十両

1991年3月場所で十両昇進。初日にハプニングが起きました。
会場の大阪府立体育会館はタクシーで宿舎から普通に高速で20分で着く距離です。
初日だったので早めが良いと思い3時間前に出た舞の海。ところが高速に上がったら車が進まない。日曜日だから混んでるのかなと思ったんですが、待てども待てども進まない。1時間で5mくらいしか進まないんです。20分でつく距離だから大丈夫だろうとそのまま待っていたのですがとうとう土俵入りまで後20分となってしまったのです。
そのタクシーを捨てて、高速道路を付け人と2人で猛ダッシュ。次のインターで別のタクシーに乗り換えて府立体育館についたのですが土俵入りは終わっていたのです。思い出に残る1日になるはずだったのに。
でも相撲は間に合うかもしれないということで、すぐに締め込みをつけて走って土俵に行ったらう出番。準備運動もしないまま土俵へ上がりました。相手の剣晃は呆れ顔。怪我でもしたんだろうと思っていたようです。取組はなんと掬い投げで舞の海の勝ち。その後、相撲界の偉い方々に謝りに行きました。付け人と2人で喫茶店でコーヒーの見ながら「明日首になるかもしれない」って話してたそうです。
次の日、稽古場で親方に呼ばれました。何を言われるんだろうと思っていたら
「おい、今日も遅刻しろ。」と親方に言われましたとさ(笑)


>>幕内

舞の海の取組を紹介するVTRで一番多く使われるのが1991年11月場所11日目の(当時・前頭筆頭)戦です。
的が小さすぎて曙が突くのを躊躇った瞬間、舞の海が懐に飛び込むことに成功。
曙が背中越しに掴んだ廻しで釣り上げようと動きます。すると舞の海はその動きを利用して更に曙の体に密着。 左足で内掛け、右手で足取り、頭で脇を攻めるという三所攻めを披露。最後は内掛けで曙を倒したのです。
朝稽古で部屋の先輩力士達が曙攻略の為にアイディアを出し合うなど協力してくれたお陰でもあります。
2mの曙vs170cmの舞の海。体重別で戦うレスリングや柔道と違い、この身1つで様々な体格の力士と戦う相撲の醍醐味を改めて教えてくれた取組でした。
他にも八艘跳び猫だまし、独特のフェイントなど勝つためなら何でもやるというのが舞の海の身上。とは言え体が小さいため稽古量は他の力士ほど多くはできませんでした。それをカバーしたのがイメージトレーニング。対戦相手となる力士の稽古場での様子や本場所で土俵下での様子などを観察し、作戦を考えるのです。相手の得意の型を覚えるのは勿論、実際に取ったらどうなるか何度も何度も頭の中でシミュレーションをします。稽古場の隅で腕組みをして考え込む姿ばかりが見られたといいます。たまに土俵に上がっても、イメージしたことを実践するための動きしかしないので見てる方は舞の海が何をしようとしてるのか分りません。幕下の力士に負けてしまうこともしばしば。それでも当時の出羽海親方(元横綱・佐田の海)は規格外のユニークな力士の個性を潰してはいけないからと、舞の海を叱ったりせず温かく見守り続けてくれました。それは舞の海が自分なりのやり方で相撲を極めようと努力しているのを知っていたからです。どうやったら勝てるのか、朝から晩まで相撲のことが頭から離れたことは無く、ノイローゼになりそうだと言っていたのを覚えています。


>>現在(引退後2000年〜)
NHK専属の大相撲解説者として活躍する傍ら、タレントとしてバラエティ番組でも活躍しています。
時々テレビCMやドラマ、映画にも出演したりなんかして。
日々の活動は当サイトの舞の海カレンダーをご覧下さい。
レギュラー:月刊誌「大相撲」(読売新聞社)にてコラムを執筆。
       「FNNニュース」(フジテレビ)でスポーツキャスター(毎週木曜日と金曜日)。
       旅チャンネルにてグルメや旅番組に」出演中。

>>その他

++映像++
「稀代の業師 舞の海」竹書房(1999年)=舞の海の好取組を余すことなく収録したビデオ2巻セット。
大相撲大全集~平成の名力士~ 参NHKソフトウェア(2003年)=NHKと相撲協会の協力により現役時代の映像を収録。昭和編と平成編の2種類発売されており、舞の海は平成編に収録されています。発売にあたり、インタビューも収録してあります。
++本++
「土俵の牛若丸 舞の海」 舞の海担当記者グループ/著 世界文化者=
    小学校時代から入門するまでの舞の海と相撲に対する係りを書いた本。
    記者達の合同執筆。現在廃刊。
はじめての大相撲 舞の海/監修、小野幸恵/著 岩崎書店(2003年)=
    小学生向けの大相撲解説本。
土俵の学校―フォト対談集」 錣山矩幸×舞の海秀平+小野幸恵/著 近代映画者(2005年)=
  人気力士でプライベートでも仲が良い寺尾と舞の海のフォト&対談集。相撲への熱い思いが込められてます。
鯵ヶ沢相撲館〜舞の海ふるさと桟敷〜(海の駅・わんど内)には、鯵ヶ沢の郷土力士達を紹介するコーナーがあり、舞の海に関する展示物の他に相撲をより身近に感じることが出来るコーナーもあります。

 
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