舞の道
元小結・舞の海と大相撲のサイト。勿論アンオフィシャル
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top >> 大相撲用語集 >> た行
>>体重測定
新番付発表翌日に行われる力士会で行います。

>>タオル
関取が仕切りの時体を拭く為に使います。
自分専用のタオルを皆持っていますが特に規定は無く、使っても使わなくてもかまわないそうです。

>>出しっ幣(だしっぺい)

太鼓やぐらの前方に二本の竿を出しその先に付けられている幣のこと。
天下泰平、五穀豊穣、好天に恵まれますようにとの意味がこめられています。
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>>立会い
相撲が始まる瞬間。アマチュア相撲は審判の合図で立つが大相撲は力士同士の阿吽の呼吸で立つ。

>>太刀持ち
横綱土俵入りの際に太刀を持つ役目の力士。横綱と同部屋の幕の内力士か、その一門の幕の内力士が選ばれることが多い。本場所で横綱と対戦が組まれた日は別の力士が務めます。→露払い

>>たっつけ袴
裁着袴。呼び出しが履いてる袴。腰に「な○り」「紀○」など書かれているのはそれらの会社から袴をプレゼントしていただいたことがあったからお礼をこめて。大関や横綱に昇進した記念に自分の四股名を入れた袴を作って振舞う仕来りがあるそうです。行司には装束一式をおくると聞いています。

>>立行司(たてぎょうじ)
行司の最高位。横綱の取り組みしか裁かない。木村庄之助と式守伊之助。

>>タニマチ
大阪市谷町に住む相撲好きのお医者さんが、力士を無料で診察したことから、ご贔屓力士のために食事をおごったり金銭的にバックアップしてくれるファンのことを指して言うようになりました。

>>俵
藁に土や砂利を詰めて円筒型にまとめたもの。土俵を形作る大事な道具です。米を作っている農家にお願いして藁を譲ってもらうのですが、刈り取る前に注文しておかないといけません。機械で脱穀すると藁が俵に使用できないくらいバラバラになってしまうからです。刈り取った藁は干して水分を飛ばした後、通気性の良い倉庫で1年ほど寝かします。出来上がった藁で俵を編み、中に土や砂利を詰めて完成です。藁を編むところまでは所謂「俵屋」さんと呼ばれる業者にお願いするそうです。中身を詰めるところから呼び出しがやります。とはいえ、1年6場所と巡業、各部屋の稽古場用(東京場所の前に土俵の土をひっくり返して作り直す。)とたくさんの俵を作らなくてはなりませんので重労働です。俵の中に土以外の物を詰めるのは、力士が踏みつけると潰れてしまうから。丸みのある小石を土と混ぜ合わせ均等にしてから詰めるのです。

>>断髪式
丁髷を切り落として力士生活に別れを告げる儀式。友人、同期力士など関係者が少しずつ鋏を入れ、最後に師匠がとめバサミを入れます。十両1場所以上勤めた力士なら誰でも国技館で行うことができます。因みに引退相撲は十両以上30場所以上と決められています。

>>力紙
半紙を半分に切ったもの。力士が身を清めた後顔をぬぐうのに使います。

>>力水
力士が身を清めるのに使うみず。東西花道側の土俵下に備え付けてあります。

>>ちゃんこ
力士の料理の総称。鍋料理を指して言うことが多いですが、力士が作る料理は全てちゃんこと言います。由来はいろいろ説がありますが、どれも確固たる証拠は無く、未だにはっきりしていません。

>>注文
立会いに左右へ変化して身をかわすような奇襲作戦。しかし多用は禁物。

>>丁髷
力士の普段の髪型。関取も取り組みが無いときは丁髷姿でいる。

>>着き手
二人の力士ががっぷり四つに組んだまま土俵際へ進ん出て、普通なら重なり合って倒れるところを、途中回転して横に(同体)落ちた時は倒した方の力士の手でも先に地に付けば「つき手」となって負けになります。→庇い手

>>付け出し
入門前の相撲の成績が認められた者が前相撲からではなく幕下からデビューすること。
・全日本相撲選手権大会 ・全国学生相撲選手権大会 ・全日本実業団相撲選手権大会 ・国民体育大会成年A 以上の4大会のどれか1つの大会で優勝し、その日から1年以内に入門すれば15枚目格でデビューが出来ます。また、全日本相撲選手権大会で優勝し かつ他の3大会のいずれかで優勝すると幕下10枚目格付け出しが認められます。

>>付け人
関取の身の回りの世話をする力士。十両には2、3人。幕内5人、横綱には10人近くもの付け人がつくそうです。荷物運びは勿論、本場所取組後の風呂で先輩関取の体を洗わなくてはいけませんし、廻しの手入れ、マッサージなどやることがたくさんあります。それとは別にちゃんこ当番や掃除当番など部屋の仕事もありますので忙しいのです。

>>綱打ち
横綱(横綱の腰に撒かれている白い綱)をより上げる為の儀式。白い麻布の中に銅線を入れた綱は長さ4メートル。一番太いところは45センチにもなります。それを作る為一門の力士が総出でお手伝いをします。綱をしめる場面は巡業の「お好み」でしばしば紹介されるので見たことのある方もいるでしょう。かなり力のいる作業です。東京場所(1,5,9月場所)の前に作ります。

>>露払い
横綱土俵入りの際に先頭に立って道を開く役目の力士。横綱と同部屋の幕の内力士か、その一門の幕の内力士が選ばれることが多いです。本場所で横綱と対戦が組まれた日は別の力士が務めます。また、太刀持ちと対戦することになった時もどちらかが気を使って土俵入りを交代してもらうようにしています。→太刀持ち

>>定員
実は力士にも定員があります。幕内は横綱を含めて40人。十両は26人。幕下は120人。三段目は200人。序二段と序ノ口は定員がありません。

>>定年
65歳。親方や若い者頭など相撲協会で働く人達が対象です。昭和36年1月1日から施行。

>>手打ち式
本場所の興行が無事終了したことを祝う儀式。前相撲を取った新弟子達が土俵でお神酒を受けます。

>>手刀
勝ち名乗りを受ける時の懸賞金の受け取り方。左、右、中央の順に手で空を切り
    行司から懸賞金を受け取る動作のこと。
    ・左=神産巣日神(かみむすびのかみ)、
    ・右=高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、
    ・真ん中=天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
という三神に感謝するという意味があります。
もともとは弓取り式をする力士が行司から弓を受け取る時、また千秋楽「是より三役」で勝った関取が行司から弓や矢を受け取る時にのみ行う所作でした。ですが名寄岩(なよろいわ・当時大関)が取り組みに勝って懸賞金を受け取る時にもこれを行い、 以後他の力士も真似をするようになったと言われています。

>>出稽古
同じ一門の部屋へ出張して稽古に行くこと。自分の部屋に自分と同レベル、それ以上の力士が少ない場合経験を積む為に他の部屋に出向いてたくさんの力士を稽古を行います。

>>鉄砲
稽古場にある鉄砲柱を手で押して体を鍛える運動。大阪府立体育館など地方場所の会場の花道の裏手には「鉄砲厳禁」と張り紙された柱を良く見かけます。見た目以上に体重をかける運動なので会場が壊れる危険性があるからなのです。

>>テレビCM
東関親方(元関脇・高見山)の「2倍、2倍」というハスキー声を覚えてる方もいると思いますが、980年代半ばまではCM出演は許されていました。ですが、横綱審議委員会などからクレームがつき禁止になってしまったのです。例外として、公共性のあるもの(=交通安全や火災予防など)は認められていました。品位を汚すというのが理由だったそうですが、1998年10月から巡業スポンサーに限り解禁となり今に至っています。2002年2月1日より全面解禁になりました。
    でもスポーツ選手を起用したCMって大相撲に限らずまともなものがないですよね・・・・・。

>>電車道
立会いから一直線に相手を土俵の外へ押し出すこと。 琴錦はあまりにも早かったためF1相撲と呼ばれていました。

>>天皇賜杯
幕内最高優勝力士に与えられる優勝カップ。純銀製、高さ108センチ、口径33センチ、29キロ。昭和3年1月場所から授与が始められました。木製の台が付いており、そこに優勝力士の名前が彫られた銀の札が張ってあります。全部で80人分張ることが出来ますが、一杯になったら取り外して額に入れて保管します。また、そのプレートは両国国技館に展示してあります。

>>天覧相撲
天皇・皇后を初めとする皇族の方々が観覧にいらした本場所の相撲。中入り後の取り組みをご覧になります。幕の内土俵入りのやり方が変わるだけで、後はいつもどおり進行します。

>>同体
土俵際の攻防がもつれ、ほぼ同時に土俵を割ってしまい勝敗が決められない状態。この場合も行司は必ずどちらかの力士に軍配を上げなければならない。そして審判が物言いの手を挙げないともっと大変なことになる。しっかりしてください。

>>徳俵
土俵に使われている俵のうち東西南北に外にずらして埋めてある俵。俵1つ分外に出ているので土俵際で踏ん張るのに徳だからこの名が付けられました。もともとは、屋外で相撲を行っていた時代に土俵にたまった雨を掃き出すために考え出されたものです。

>>時計
土俵舌にいる審判が時計係をやるのですが、戦前は2人いました。2人の計る時間がずれることがよくあり、混乱をきたすため戦後1人になったそうです。

>>床山
力士専用の床屋さん。といっても美容師の資格はいりません。
特等=勤続45年及び年齢60歳以上で成績優秀、又は勤続30〜44年で特に成績優秀な者。
一等=勤続30年以上。
二等=勤続20〜29年。
三等=勤続10〜19年。
四等=勤続5〜9年。
五等=勤続0〜4年。
定員は50名で、力士12名以上で床山がいない部屋から申請があった場合のみ定員を超えて採用することもできます。

>>年寄り株
関取が引退した後親方になるために必要な資格。横綱及び大関に在位した力士、又は三役を1場所以上務めた力士、幕内を通算20場所以上務めた力士、十両と幕内在位数が通算30場所以上の力士には株を取得する権利が与えられます。この条件に満たなくても、将来の相撲部屋継承者であると認定された力士に限り、幕内通算12場所以上か十両と幕内の在位数が合計20場所以上あれば株を取得することができます。年寄り株の数は全部で105。この数に一代年寄りは含まれません。新たに年寄り株を取得する為には誰かが定年退職するなど、空きがでるのを待たなくてはいけません。そしてをれを譲渡してもらう時に多額のお金が必要だと言われています。その為株を取得できずに相撲界から去ってしまう力士もいるのです。現在では空きが無い場合、現役時代の四股名を使って親方業をすることが許されています。→準年寄

>>土俵
相撲を取るための場所。 もともと相撲は見物人でもある人垣がその役目をしていました。人方屋(ひとかたや)といいました。なぜならば、人垣の中へ相手を投げたり押したりすれば勝ちというルールだったからです。ですが人と人とがぶつかり合うため、喧嘩がおこることもしばしば。ついには町奉公から相撲禁止令が出されてしまうこととなったのです。それではいけないと、考え出されたのが四本柱。プロレスリングのように柱を4本立てて紐をつけて四角形を作り、その中で相撲をとることにしたのです。その後土を入れた俵を地面に置いて、そこから外に出ると負けというルールに次第に変更になり現在の土俵の母体が作られたのは1670年代(江戸時代)だと言われています。その頃の土俵の直径は13尺(394センチ)。大人二人が手をつないで両手を伸ばした時の長さだそうです。そして更に外側にもう一周俵を置きました。内側と外側の土俵の間に砂を敷き詰めました。これが蛇の目の始まりです。その二重土俵が昭和の時代まで使用されていたのですが、1931年(昭和6年)4月の天覧相撲より変更されました。内側の13尺の土俵がはずされ、外側の15尺(455センチ)の土俵のみを使用することになったのです。土俵が広くなれば、それだけ長い時間相撲を取ることになり、激しい攻防が見れるだろうというのが変更の理由だそうです。そして蛇の目も15尺の外側に移動させました。それ以降はずっとその大きさを守っているのですが、一度だけ、土俵がもう一回り大きくなったことがあります。第二次世界大戦後の1946年11月場所のことです。進駐軍に相撲を見せる際、面白いと思ってもらえるようにと土俵を16尺に広げたのです。結果は力士達の怒りをかっただけでなく、アメリカ人たちもあまり興味を示さずこのアイデアは一場所限りであえなく終了ということになりました。

>>土俵入り
本場所中毎日、横綱、幕内、十両の三種類が行われる。神へ祈りを奉げる意味がある。

>>土俵祭り
毎本場所前日に土俵で行われる地鎮祭。土俵中央、仕切り線の間に約15センチの深さに穴を掘り、そこに沈め物(=カヤの実、洗ったお米、勝ち栗、昆布、するめ、塩)を埋め、15日間の興行の成功と力士の安全を祈願します。立行司が神主の役を務めます。

>>富岡八幡宮
江東区。新たに推挙された横綱が土俵入りを披露する場所。横綱力士碑があり、ここに四股名が刻まれます。サイトはこちら

>>巴戦
優勝決定時に行われる対戦方法。3力士が同点で並んだ時に行います。2連勝した力士が優勝。
・3力士(仮にA、B、Cと名前を付けます)がクジを引き、最初に相撲を取る2人を決めます。1人は休み。
・1回戦のクジを引き当てたAとBが相撲を取ります。Cは休み。
・最初の取り組みで勝ったAと休んでいた力士Cが戦います。
・ここでAが勝てば連勝したAの優勝。Cが勝てば続けてBと相撲を取ります。
 ※この後は誰かが2連勝するまで延々取り続けます。→優勝決定戦

>>取組編成
初日、2日目の分は本場所が始まる2日前に決められます。3日目以降は本場所が始まってから、前日の午前中に組まれます。幕下は7番しか取らない為2日分ずつ決めていきます。「巻き」というその日の取り組みが書かれた長い紙を広げます。そこに取組結果を書き込んでいきます。それを見ながらあーでもないこーでもないと頭を捻り横綱から順番に次の日の取り組みを決めていきます。漏れが無いように取り組みが決まった力士の四股名の上に碁石を置いていきます。
西前頭三枚目の力士Aの場合、西の関脇Bと対戦する時には、番付下位のAが東に回り、Bはそのまま。Aより番付が下で同じ方屋の番付の力士(西前頭4枚目以下の力士)がAと対戦する場合、その力士が東に回って土俵に上がります。番付の方屋が違う時、例えば東の小結と西の横綱はそのままの方屋。つまり、東西の横綱以外は、その日の取組みによって出てくる方屋が違うのです。尚、出場している横綱が西の正横綱一人だけの場合、東から上がることもあります。

>>取的(とりてき)
幕下以下の力士の俗称。でも面と向かって「取的さぁ〜ん」なんて呼びかけては失礼になります。
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