舞の道
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top >> 大相撲用語集 >> さ行
>>下がり
締め込みの前に挟んで下げている紐のようなもの。本場所の取り組みでは必ず付けています。幕下以下は木綿の丸打ち紐を使用。お関取は廻しの先端を80センチほど横糸をほどいて使用し、1本1本ふのりで固められています。標準は19本。体の大きさによって本数は変えますが奇数でなくてはなりません。

>>桜
相撲協会のシンボルマーク。

>>桟敷
マス形に区切られた観覧席。枡席とも言う。4人用が大半。通路脇の角には3人や2人用の枡、最後列には6人以上の桝席もあります。お買い求めはプレイガイドでどうぞ。

>>差し違い
物言い協議をした結果、行司が軍備を上げた力士が負けになること。十両格以上の行司は年4回まで。5回やると理事会によって降格が命じられます。幕下格以下の行司は年9回まで。10回目で降格になります。回し団扇の回数も含めて数えます。

>>三賞
本場所で優勝できなかったが活躍した力士に送られます。受賞対象は関脇以下の幕内力士。どの賞も勝ち越していることが前提となります。以下がおおまかな条件です。
殊勲賞:横綱・大関や優勝力士を倒した力士
敢闘賞:二桁の勝ち星を挙げた力士、または相撲内容が充実していた力士
技能賞:幕内最高の技能を発揮した力士

>>三段構え
相撲の基本体とされる上、中、下の三段の構え。儀式の時などに東西の横綱又は大関が向かい合って演じます。

>>三番稽古
実力の同じ位の力士同士で何番も続けて土俵上で相撲を取る稽古。他の部屋の力士と顔を合わせられる巡業の時には、自分よりも力が上の力士とも行い、レベルアップを図る。次の場所で対戦しそうな力士と稽古ができれば、相手の長所・短所を見つける良いチャンスとなる。

>>三役
大関、関脇、小結。

>>塩
土俵上で清めのために撒かれるもの。怪我をした時の化膿止めの意味もあります。本来は十両、幕内の取組でしか撒きません。ですが、予定より早く進行している場合は幕下の取組でも塩を撒き、仕切りの時間を延ばして調整します。

>>仕切り
土俵中央の仕切り線に手を下ろして構え、相手と呼吸を合わせる動作。

>>仕切り線
土俵中央にある、2本の白線。仕切る時ここから先へ手が出てはいけません。幅6センチ、長さ80センチ。線の間は70センチ。呼び出しが土俵を作る時に白のペンキで塗っています。昭和3年1月場所からラジオで生中継が始まり、それに合わせて設けられたそうです。

>>四股
足腰を鍛えるための基本動作。足を左右に開き、片足ずつ交互に高く上げ(この時足の裏を人に向けないのが正しいとされる)足を下ろすときはつま先から。膝を曲げてはならないとされています。

>>四股名
力士の呼び名。関取になるまでは本名に「琴」「朝」など師匠の四股名から一文字付け加えたものを使うことが多いです。番付が違うからといって同じ四股名を使ってはいけません。また、混乱を招くため同音異字の四股名を使ってもいけないことになっています。漢字、平仮名、片仮名を使用することが出来ます。東関親方(元・高見山)は初土俵の時、本名(当時)だった「ジェシー」という四股名で土俵に上がったという噂。前相撲だったので番付には載らなかったそうです。

>>四十八手
昔は150手以上もあったとも言われている決まり手。四十八とは仏教用語で「たくさんの・・」「あらゆる種類の」という意味の言葉。決まり手も沢山あったことからこう呼ばれるようになりました。48しか決まり手が存在しないという意味ではありません。ですがたまにしか見られない技が多数あるため、その時々で相撲協会が採用してきた決まり手の数が違っています。現在では相撲協会が82手に絞っています。

>>支度部屋
力士の控え室。東西二つの大部屋に力士達は自分の開け荷を置く。

>>下手(したて)
廻しを持って組んだ時、下になっている方の手を指す。反対語=上手

>>実業団相撲
バレーボール、陸上などと同じように、企業の運営する相撲部のこと。また、その活動。

>>死に体
激しい攻防により土俵際でもつれた時、どちらが優勢か否かを判断するのに使う言葉。両力士の足、特に爪先の向きが重要視されます。
例えばAがBを寄り切ろうと土俵際まで追い詰めたとします。
Bが負けじとAをうっちゃろうと踏ん張りますがもつれて同体とも取れるような倒れ方になり
物言いがつきました。そこで見るべきは、うっちゃりを仕掛けたBの足の向きです。
きちんと踏ん張り、足が地に付いていれば生き体とみなされBの勝ちとなります。
もしこれが体もかなり倒れこみ、足の裏が見える程の角度だった場合はAの寄りを有利と判断。
Bは死に体とみなされAの勝ちになります。→生き体

>>四本柱
屋外興行だった頃に屋根を支える為土俵の四隅に立てられていた柱。正面東から青、赤、白、黒の布を巻いて四季四神を表していました。観客が取り組みを見やすくなるようにと昭和27年(1952年)秋場所から取り外されました。その代わりに同色の房をつり屋根の四隅から下げています。→房

>>締め込み
「廻し」参照のこと。

>>蛇の目
土俵の外周、30センチ程の幅でしかれた砂。さらさらの砂を置くことにより、力士の足跡をつきやすくしてきわどい勝負の判定に利用します。→土俵

>>十枚目
十両の正式名称。幕下10枚目までの力士には、関取並みの待遇をしていたところからそう呼ばれていました。その時の給料が十両だったから幕下と切り離して十両と呼ぶようになりました。番付表で十両と幕下が同じ段に書かれているのはその名残。千秋楽の表彰式では十枚目と呼んで表彰しています。また、この制度が定着したのは明治21年。比較的新しいものです。

>>十両
十枚目の別名。

>>出身地
親方か本人の届出によって決められます。土俵入りや取組前に場内アナウンスで紹介されます。また、雑誌などにもデータとして掲載されます。これは必ずしも生まれ故郷の地名を語るとは限りません。東京生まれの寺尾は彼の父である元関脇・鶴ヶ嶺と同じ鹿児島出身としていますし、横綱貴乃花も東京都杉並区で生まれましたが、部屋や母校があることから中野区出身としています。また、地元出身の関取が欲しいがために、子供の頃に住んでいたことがあるなどいろいろ理由を探し出して後援会からの強い要望により出身地を変更した力士もいます。以前は町や村まで細かく言っていましたが、問題があったとかで今は郡及び市までしか言わないようにしているそうです。

>>出世披露
前相撲にて3勝して翌場所序ノ口に上がる資格を得た力士のお披露目。披露は中日の三段目の取り組みの最中に行われます。先輩力士の化粧回しを借りて土俵に上がり、 行司(新人の行司を起用)に名前を読み上げてもらいます。向上は以下の通り。
「これに控えおります、力士儀にござります。只今までは番付外に取らせおきましたるところ、当場所、日々、成績優秀につき、本日より番付面に差し加えおきまする間、以後相変わらずごひいき、お引き立てのほど、ひとえに願い上げ奉ります。」かつては出世披露が出来るまで何場所も前相撲をやらされていたそうですが、現在では1勝もできなくても披露されるそうです。うーん、そんなんで良いのか・・・・一番出世

>>巡業
本場所が無い期間に地方を訪れて稽古や取組を見せる興行。
1月と5月の2回しか本場所が無かった江戸〜戦前の大相撲。残りの期間全てを部屋での稽古に当てていたわけですが、それでは収入が足りません。そこで地方を訪れて、相撲を生で見る機会が無い人達に見せることで収入を得られるのではと思いついたが始まりです。最初は各部屋ごとに別々の地域へ赴いていましたが力士の人数が少ない部屋は取組を披露してもあっという間に終わってしまいます。仕方なく、朝だけで終える稽古を一日中見せていたと言う話もあったくらい。そこで複数の部屋で巡業を行うようになりました。これが後の一門になっていくわけです。

>>準年寄制度
引退した力士が年寄り株を取得するまでの間、四股名のまま親方業をすることができる制度。5人以内と決められています。横綱は5年、大関3年、三役以下は1年間と期間も決められています。この期間内に年寄り株が取得できない場合は残念ながら退職しなくてはなりません。

>>初っ切り
相撲の禁じ手(反則のこと)を面白おかしく紹介するコント。幕下以下の力士が巡業や引退相撲などの花相撲でやります。本場所では行いません。相手の腹を蹴ったり髷を掴んで投げまわしたり、力水を口いっぱいに含んで相手に吹き付けることも。でも禁じ手なので行司は何度も取り直しを命じます。演じる力士はお客さんのカメラを奪って記念写真を撮るなどオリジナルのアイディアを盛り込んでより面白くしようと熱心です。そのため初っ切りをやる力士は大成しないなんてジンクスがあるくらい(笑)また、力士には数千円お手当てがつきます。

>>女性
男社会なので相撲に関係した仕事にはなかなか女性はなれません。力士にはなれない(アマチュアなら新相撲というのがありますが)。土俵上は女人禁制なので呼び出しも行司も不可。床山さんもなれないです。なぜならば、力士が素っ裸で歩き回ることもある支度部屋で髪結いをしなくてはいけないから。廻しや着物の脱ぎ着でどうしても力士は裸にならなくてはなりません。(廻しは下着をつけず肌に直巻きするから)そこへ女性がいるというのはね・・・σ(^◇^;) だから記者さんでも女性は入らないようにしてるんです。でも、相撲協会の事務所や相撲診療所のスタッフなら女性でもなれます。また、茶屋やお土産売り場の売り子さんのバイトもできます。さぁ、力士に近づくチャンスです(笑)

>>序列
現役時代は年齢よりも入門した年や番付によって厳しい序列があります。引退して親方になってからも序列は付いて回るのです。現役時代の最高位、親方になった時期を考慮して序列が決まります。

>>甚句
相撲甚句に同じ。

>>新弟子検査
大相撲に入門するための検査。義務教育を終了した23歳未満の男子であることが条件です。まず入門したい部屋の親方に了解をもらい、相撲協会に親権者の入門承諾書、戸籍謄本(抄本)、医師による健康診断書、力士検査届を提出します。本場所前の決められた日時に相撲協会が指定する医師の健康診断と身体検査を行います。→入門規定

>>審判
土俵下から取組を見守る親方達。まだ四本柱があった頃、その柱に寄りかかって勝負を見ていたのですが、観客からクレームがつき土俵下に移動しました。時計係が必ず1人含まれます。審判部長と副部長は十両土俵入り後の幕下上位5番からしか土俵を見ません。土俵下の審判委員に支障が生じた場合、基本的には補充せずに、白房下の親方が障害の生じた個所(正面、赤房下、西、東)のどれかに回ります。もともと、審判委員は、土俵の四本柱の検査役からその起源だから白房下の審判はリザーブ兼務というところでしょうか。

>>砂被り
土俵のすぐ下の溜まり席。土俵の砂をかぶる事があるためこう呼ばれるようになりました。テレビ中継でこの席を凝視すると芸能人を発見することがよくあります。

>>相撲協会
財団法人日本相撲協会。大正14年に「財団法人大日本相撲協会」として文部省の認可を受けた後、昭和33年に「財団法人日本相撲協会」と名称を変更。現在に至る。

>>相撲教習所
新弟子検査に合格した新人力士が基礎を学ぶ所。昭和32年設置。実技と学科の授業を半年受けます。実技は親方や幕下力士が指導員となって四股やすり足などの基本動作を教えます。学科の方は大学教授などの権威が相撲史や運動生理学などを教えるそうです。

>>相撲研修所
群馬県吾妻郡に「草津相撲研修所」があります。アマチュア相撲指導者の研修を行う為の場所です。また、相撲教会関係者の保養所としても利用されています。

>>相撲甚句
巡業や花相撲の余興に歌われる力士の歌。先輩達から歌い継がれる伝統のある甚句の他に横綱など人気力士が引退した時に行司が作る甚句もあります。

>>擦り足
相撲を取る時の基本動作。歩くときに足の裏を地面から離さないように歩くこと。

>>制限時間
力士が名前を呼ばれてから立つまでの時間。この間は何回仕切り直しを行ってもかまいません。その昔、相撲には制限時間というものが存在しませんでした。一つの取り組みに何分時間を稼いでもかまわなかったのです。ですが故意に立とうとしない力士がいて観客を飽きさせてしまうことや、昭和3年1月場所からラジオ中継が始まり放送時間に制限があることから設けられることとなりました。幕内10分、十両7分、幕下5分という長いものでした。現在は幕内4分、十両3分、幕下2分以内となっています。取り組みの進み具合を見て時間が前後することもあります。また、時間に余裕がある場合は、幕下力士でも塩をまいて調節します。時間前の立会いの時は軍配は自分の右(テレビで見ると東側)に水平に差し出すようなポーズをとります。時間いっぱいの時は時計係りの審判の合図を見てうなずき、力士が仕切り線に立つと軍配を握った手首を手前に返します。アナウンサーが「軍配返りました」と言うのはこのポーズのことを言っているのです。

>>関取
横綱から十両までの力士。お給料が貰える一人前の相撲取り。

>>関脇
大関に次ぐ実力の持ち主のこと。大関の脇に控えるからその名がついたといわれています。

>>雪駄
三段目以上の力士にのみ許される履物。

>>世話人
支度部屋、南門、木戸口、役員室でそれぞれ親方や若い者頭のバックアップをする人。元力士であることが条件となります。親方の推薦を受け理事会に承認してもらわないといけません。定員は8人です。

>>千秋楽
興行の最終日。もともとは雅楽の曲のタイトル。興行の最後に演奏されていたことから最終日のことをそう呼ぶようになったらしい。

>>ソップ型
体が痩せていること。反対語=あんこ型

>>蹲踞
相撲の基本姿勢。普通にしゃがんだ状態からかかとを上げ、上体を地面と垂直に起こす。膝は肩幅くらいに開く。これが意外と辛い。
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